2019-06-18 6:03 PM
category|日記
大人も子供も褒めて育てるという時代ですが…
一般的に、人を育てるには
「褒める」
ことが大切ということが、学校でも職場でも言われるようになり、かなりの年月が経ちました。
私の知り合いにも、
“褒める達人検定”
という資格を発行している人や
“ほめ育”
という指導を提唱している同級生もいます。
もちろん褒めるという行為は素晴らしいことです。
褒める側も、誉められる側にとっても非常に良いことだと思います。
誰でも褒められると嬉しいです。
一度、褒められると、また褒められようと努力をするようになる。
それが、人間の成長に繋がる。
まさにこれは正論だと思います。
しかし、私は子供の頃から
『褒める』
とうことは、どこか上から目線な行為であると感じていました。
私が、子供の頃から、ひねくれていたのかもしれませんが、
何年か前に、その考えはあながち間違えではなかったと思えることがありました。
それは、
『アドラー心理学』
の存在を知ったことです。
以下の内容は、私の意見ではありません。
アドラー心理学の教えです。
「褒めることは相手の自律心を阻害し、褒められることに依存する人間をつくり出してしまうことになる。
もう一度褒められたいと願うことは、すなわち褒められることへの依存であり、褒められることばかりやろうとする姿は自律性を欠いた状態にほかならない。
裏返していえば、人を褒めるという行為は、相手の自律性を奪って、コントロールしやすい都合のいい人間に仕立てようとしている行為だということになる。」
…だそうです。
これに賛否両論あると思いますが、アドラー心理学の書籍は非常に売れており、研修等で導入している企業も多数あります。
私は、
“褒めてもらうために頑張るのではなく、自己実現(自分の成長)のために努力する”
人になることが重要だと思います。
私は、子供の頃に空手の試合で、1回戦で負けた時に師範から
「よく頑張ってね」
と言われた時に無性に腹が立ちました。
心の中で
「頑張ったのに、1回戦負けかよ」
「頑張ってないから負けたんだよ」
「頑張ったらこんなもんじゃない」
と思っていました。
師範は私を勇気づけるために言ってくれたと思いますが、
アドラー心理学では、人を育てるには
“上から評価して褒める”
のではなく、
“横から勇気づける”
ことが有効だと言っています。
これを知って、私が褒められたにも関わらず、何故、腹が立ったのか理解することが出来ました。
褒めるのであれば、何でもかんでも褒めるのではなく、具体的にどこがどうよかったのかを褒め、
「よくやったね」
「えらかったね」
というように上からではなく、横から、対等な目線で褒めることが重要だと思います。
人から褒められるより、人や組織から認められることの方が人の承認の欲求を満たし、人の成長になるのではないでしょうか。
吉沢陸