2020-05-08 8:01 AM
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塾講師としての考え
BMCでは、低学年向けの塾を開講しています。
本日は、塾講師としての私の考え方をお伝えしたいと思います。
新型コロナウイルス感染拡大で、多くの学校や塾が突然休校になりました。
そして、その期間は次々と延長していっています。
多くの人が、
『教育』
そして、
『学校』
の意味を考え直し始めていることと思います。
今回、コロナの影響による休校は、私たちの既存の教育に対する見方を変える大きなきっかけになることと思います。
オンラインやタブレットでの学習は賛否両論ありましたが、ここに来て、否が応でも導入しなければいけない状況になりました。
正直、私もオンライン、タブレット学習は賛成ではありません。
一部、復習や予習のためにするのは良いと思いますが、全てがそれでは、脳の使い方に問題が出てくると考えています。
学習は遠回りの方が、副産物として様々な学びがあると思います。
辞書で言葉を調べることなどがその代表例です。
調べたい言葉を探しているうちに、他の言葉やお目当ての言葉の隣に書かれている言葉も同時に覚えたりすることも出来ます。
とはいえ、オンライン、デジタル学習教材を使ってみて、その便利さや良さに気付いた人も増えていることと思います。
そして、今後は私では想像もつかないような、学校に行かなくて、様々なテクノロジーにより効率よく勉強することが出来る時代になっていくことと思います。
実際、今の時代の子ども達は、その方が楽しんで学習するのかもしれません。
しかし、勉強はテクノロジーで代替できても、先生や友達と話す、遊ぶということは、オンラインでは出来ません。
学校がなくなることはないと思います。
しかし、この状況が続けば、
“学校はたまに行くところ”
という価値観に変わってくるのではないかと思っています。
極論を言うと、学校教育とは、国の方針として、税金を使い、日本国民全員を対象とした、
“識字率を上げる”
政策だと思っています。
要は未来の日本を豊かにするため、GDPを上げるために、
「ここまでの学力を身につけておいてもらいたい」
という国の未来への投資だと思っています。
ですから、本来学校で教えてもらいたいものが、授業のカリキュラムにはないということがあるのだと思います。
人としてどうあるべきか?お金のこと、夢のこと、世の中の仕組み等、小学校の頃に学ぶ出来ことは、英語よりもたくさんあるはずです。
私の知人、友人で英語を話せる人は、皆、高校までは英語が大嫌いで、大学に入ってから勉強した人がほとんどです。
体育や他の教科の授業を削ってまで、やるべきことでしょうか?
大体、親御さんたちも英語が話せなくて困って、生きて行けなかった経験など誰一人いないはずです。
年齢が同じであれば、皆、右ならえで同じ教育を受けさせるのは、官僚や政治家たちが国を変えてしまうような天才が現れないようにしているのでは?と思ってしまうくらいです。
今までは、
「成績を上げ」
「いい学校」
に入り、
「いい会社」
に入ることを考えていれば、良かったですし、そうなれば豊かな人生を送れると思っている人が多かったと思います。
でも、実際は、いい学校に入っても、いい会社に入っても、幸せではない人も多いです。
テレワーク、営業自粛で家にいる時間が長くなり、
「今まで働きすぎだったなあ」
「今まで頑張り過ぎていた」
と感じている人も多いはずです。
「もう学歴社会ではなく実力社会」
と言いながらも、成績を上げることに躍起になっている親御さんが減ることはありませんでした。
でも、もう本当にいい学校、いい会社に入ることだけが幸せではないということは、今回皆が気付きました。
それぞれが好きなことを見つけて、個性を見つけて伸ばし、好きな仕事や自分の人生を自分で人生脚本する。
では、そんな時代に、どのような教育が適しているでしょうか。
学校教育だけでは無理だと思います。
出来たとしても万に一人ではないでしょうか?
好きなことを仕事に出来ていない、夢を叶えていない大人が多いことで分かるはずです。
そこで重要になってくるのが、習い事(お稽古)です。
私は、学校は基本的に、
“読み・書き・計算・コミュニケーション能力・集団行動”
を学ぶ場で良いと思います。
小学校の先生たちのスキルは素晴らしいものがありますが、
体育などでいうと、自分自身がやったことのないスポーツを子どもたちに指導します。
音楽や歴史、理科系ももちろん必要ですが、それらも専門家ではありません。
専門家が必ずしも良いとは思っていません。
思い返してみてください。
中学高校の理科や社会の先生は、変わり者が多くなかったですか?
学校は選べても、学校の先生を選ぶことは出来ませんん。
私は、かなり以前から、
“学校はお昼の給食を食べるまで”
で良いと思っています。
給食を食べ終わった子どもたちは、学校が終われば、お稽古スクールに行く。
給食があれば、お母様に負担をかけることはありませんし、
お稽古スクールも競争が激化して、きちんとしたスクールしか残らないと思います。
じゃあ、お稽古に通わせるお金のない家はどうするんだ?
という声が出てきそうですが、
お稽古スクールに通うことが当たり前の文化になれば、スクールに通う生徒が増える訳ですから、
一人当たりの月謝を安くすることが出来ることと思います。
また、これが実現出来るように、国や自治体に、仕組みを作ってもらう必要があります。
これはあくまでも理想です。
学校が終わってから、夜遅くまで塾やお稽古スクールに通い、親御さんは車でのお送り迎え、夜食の準備等で一日中、誰かのために働いている…。
この状況は、普通ではないと思います。
実際に出来るようになるには容易ではないことも分かっています。
でも、想像してみてください。
子ども達は学校が終われば、個人が自主的に興味のある分野のお稽古スクールに通う。
音楽、スポーツ、プログラミング、ビジネスなど、一人ひとりが好きなものを選んでやってみる。
自主性が磨かれることと思います。
学校のようなところでやる子もいれば、畑でやる子、キッザニアのように企業に入ってやる子、
ちょっとしんどいお子様には、オンラインでもいいと思います。
好きなことだけをして生きていくことは不可能です。
でも、自分の好きなこと、関心のあることを、好きな仲間と一緒に見聞を深める活動をするということを、自分自身で決める。
そんな子どもたちが、大人になったら、日本はどんな素晴らしい国になるでしょう?
もちろん、この考えに否定的な方もいらっしゃることと思います。
今回は批判を覚悟で書いています。
“夕方まで学校”
“午前中まで学校”
と各家庭で選べるようにしておけば、問題ないと思います。
今でも学校が終わればまっすぐ家に帰る子もいれば、学童に行く子、お稽古スクールに通う子もいます。
途中にも書きましたが、スクールに通うにはお金が必要です。
「お金がある家の子どもしか能力開発、興味開発ができない」
ということになってしまいます。
理想を言えば、国や自治体がお稽古スクールに補助や助成金を出していただかないことには出来ないことかもしれません。
誰もが、自分の時間を使って、受けたい教育を受けることが出来る状態が私の理想像です。
BMCが、ジャンルを問わず、様々な学びを提供している根底には、この考え方があります。
運動やスポーツだけでなく、塾を開講しているのもこの考えからです。
BMCの
『ことばの学び塾』
では、国語、算数を主な学びとして、囲碁、将棋、ラジコンやドローンなどもお使いいただき、お子様の興味開発のお手伝いが出来ればと思っています。
今後は英語も導入していく予定です。
私どもBMCの塾、ことばの学び塾は、成績を上げることを目的としていません。
長くなりましたが、お子様の興味開発を担うのは、今後は私たちのような民間企業になると思います。
ご興味のある方は、BMCの塾、ことばの学び塾の見学にお越しください。
吉沢陸